鹿沼市紹介・概要
位置と地勢
鹿沼市は、面積が490.62平方キロメートル、首都東京からおよそ100キロメートル圏内にあり、今後、最も発展が期待される北関東の中央部に位置しています。

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市役所の位置 |
栃木県鹿沼市 今宮町1688-1 |
東経 |
139度44分53秒 |
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北緯 |
36度33分49秒 |
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海抜 |
148.8メートル |
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面積 |
490.62平方キロメートル |
東西 |
32.97キロメートル |
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南北 |
28.17キロメートル |
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地域 |
経度 |
極東 |
深津 |
東経 |
139度50分08秒 |
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極西 |
上粕尾 |
東経 |
139度28分02秒 |
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緯度 |
極南 |
下永野 |
北緯 |
36度27分29秒 |
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極北 |
草久 |
北緯 |
36度42分43秒 |
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栃木県の中では、県央西部にあって、圏域の北部は国際観光地の日光に隣接しています。
南部には、新しい国土軸のひとつである「北東国土軸」の基盤となる東北縦貫自動車道鹿沼インターチェンジをもち、近接して北関東自動車道が走ります。
また、県都宇都宮市に隣接し、東北新幹線との連絡も容易です。
圏域内の大部分は森林で覆われています。また、西北部の奥深い山々を源として、大芦川、荒井川、粟野川、思川、永野川が、日光・今市からは行川が南流しています。
西北部の奥深い山々と、その山々を源流とする幾筋もの河川は、山と高原、清流と渓谷は特色ある美しい景観を成し、前日光県立自然公園を形成しています。
市街地は、鹿沼地域では黒川の河岸低地に、粟野地域では思川と粟野川が合流する平地に形成されています。

鹿沼市の歴史
本圏域が、文書など歴史上の記録に登場したのは、勝道上人の日光開山により大剣が峰(横根山)などが山岳信仰の場となってからです。
中世においては、日光山領として、この地域の村々が記録にあらわれます。
戦国時代には、壬生氏が本拠地を鹿沼に移しこの地を支配していましたが、豊臣秀吉の関東侵攻の際、小田原城落城とともに壬生氏は滅亡し、鹿沼城は廃城となりました。
近世に入ると、日光に東照宮が造営されたことにより、鹿沼地域は日光西街道・例幣使街道の宿駅として生まれ変わり、町は商品流通の中心地として賑わいました。
この頃、彫刻屋台が数多くつくられ、町人文化の繁栄がみられました。
粟野地域は、足尾銅山の開設にともない、生産生活物資輸送の中継地として賑わいました。
近代に入ると、鹿沼地域では木工業が盛んになり、日光線の開通や関東大震災、戦災復興などによる需要の増大に応じて生産を伸ばし、「木工のまち」としての地位を確立しました。
鹿沼市においては、昭和23年に鹿沼町が市制を施行し、その後、昭和29年に1市7か村、昭和30年に2か村を合併、粟野町も1町3か村を合併し、それぞれ現在の行政区域を形成しました。
昭和46年4月には、鹿沼市・粟野町1市1町による鹿沼地区市町広域行政推進協議会を、次いで昭和47年4月には鹿沼地区広域行政事務組合を設立し、これまでさまざまな交流と連携を図ってきました。
平成16年6月に粟野町から合併協議の申入れがありました。平成16年10月に第1回の合併協議会を開催し、平成17年2月21日の合併協定調印まで、事務事業の調整や新市都市計画の作成を行いました。
その後、両市町の議会の議決などを経て、平成17年7月14日に官報が告示され正式に合併が決定しました。そして、平成18年1月1日に鹿沼市と粟野町が合併し、新しい鹿沼市が誕生しました。

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