上田町屋台
(かみたまちやたい)
昭和時代
間口(柱端間、柱幅含)1.96m・奥行(前後柱端間、柱幅含)3.75m・高さ(箱棟上部まで)3.98m
鹿沼市指定有形文化財(工芸品)
指定年月日:平成2年11月30日
上田町1886-1
上田町自治会
文政(ぶんせい)5年(1822)頃に造られた 彩色彫刻黒漆塗屋台が明治時代末頃に火災にあっています。現在の屋台は昭和28年(1953)に、市制5周年を記念して建造された白木造(しらきづくり)屋台です。旧屋台の焼け残った彫物は、前鬼板の波に飛龍、前懸魚の波間の鯱(しゃち)、 前琵琶板の獅子に牡丹(ぼたん)など、10種21枚の豪壮なものです。裏には「日光御五重塔彫物方棟梁後藤周次(推定)正秀」 「文政五年六月…」などの墨書銘があり、製作年代とともに、彫物師は下野(しもつけ)彫物師の第一人者後藤正秀であったことが知られます。また、石塚知興の銘があったとされる黒漆塗の脇障子は、欄間(らんま)と腰のついた額入(がくいり)彫刻障子で、格子(こうし)は縦横吹寄(ふきよせ)の手の込んだものです。これらの貴重な彫物の保存のため、彫物師嘉門(かもん)(黒崎孝雄)によって、脇障子を除いて、正秀様の模刻がなされています。