鈴木石橋遺稿 127冊
(すずきせっきょういこう)
江戸時代
鹿沼市指定有形文化財(書跡)
指定年月日:昭和39年3月25日
文化課文化財係 (かぬまケーブルテレビホール(鹿沼市民文化センター)3階 鹿沼市坂田山2-170)
鹿沼市
鈴木家書庫には、宝暦(ほうれき)4年(1754)現石橋町(いしばしちょう)に生まれた、郷土の偉人鈴木石橋の思想を現在に伝える遺稿類が数多く残されています。天明(てんめい)の大飢饉(ききん)のときには、私財を投じて窮民の救済や、備荒貯蓄の制を整えることに奔走したのが石橋でした。生活苦から行われた間引きと称する嬰児(えいじ)圧殺堕胎(だたい)の風習に対しても、その矯正に執念を傾けています。こうした業績が領主宇都宮藩主戸田忠翰(ただなか)に認められ、晩年に藩儒として藩士の教育に招聘されました。大正13年(1924)2月には、社会事業への功績に対して正五位が贈られています。