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鹿沼市の城9「天狗沢城(鹿沼市下粕尾)」

鹿沼は城の宝庫である。
第9回目は、天狗沢城を紹介したい。

図1-天狗沢城縄張り図(上が北)
図1-天狗沢城縄張り図(上が北)
 
今回は、城を通じての知り合い※1が新発見された城である。
見事な遺構が確認できるので、是非本コラムで紹介したい。

写真1-麓から天狗沢城を望む(矢印が主郭付近)
写真1-麓から天狗沢城を望む(矢印が主郭付近)
 
城の位置は、思川に迫る尾根の先端にある。(位置図を参照)
 
縄張り(土塁、曲輪、堀などの配置)としては、南北に延びる尾根を、堀切(尾根の流れに対し、垂直に堀を入れたもの)で断ち切り、それを連続させる単純な構造とも言える。
ただ、その数が半端ない。
しつこいぐらいに堀切を重ね、尾根を洗濯板のように切り刻んでいるのだ。

写真2-尾根を切り刻む堀切(図1の堀切D
写真2-尾根を切り刻む堀切(図1の堀切D)

こんな立派な城が、地誌にも遺跡分布調査にも、管見では見たことも、聞いたことも無い。
登城の際、近隣の方に入山のお断りをしたが、伝説等も地元には無いようだ。
こんなことがあって良いのだろうか?
しかし、山の中の遺構はどう見ても立派な城郭そのものである。
謎の多い城と言えよう。
 
また、この城を特徴づける物としては、尾根先端から発生する大きな竪堀がある。
図1をご覧にいただければわかると思うが、山の頂点から思川に向かって真っ直ぐ北に向かって竪堀が下る。

写真-3山を下る大竪堀
写真-3山を下る大竪堀
 
竪堀は山麓に近い部分で土塁状に切り替わる。
これは思川側から攻めて来る敵を完全二分する、または、東方向や西方向から来る敵を、山腹全体に広げさせない狙いがあると思われる。
このような遺構は、本コラム第1回目の諏訪山城、第2回目の龍階城に見られるものである。
 
さて、この谷戸(川が形成する谷状の地形)に点在する城々(図2)の作りは、調査すると、どれもこれも個性的であるである。
同族の城では無いという事なのだろうか?
それぞれの小さな領主達が、それぞれの考えをもって城作りをしているという事も考えられる。
ただ、これらの城は、領主がバラバラだとしても、お互いが見える位置に立地し、相互補完し合っていたことは間違いなさそうだ。
というのも、天狗沢城だけ思川の右岸に築かれている事に着眼したい。(図2参照)
地形図を見ると、粟野の谷はちょうど天狗沢城から北に大きく湾曲しているが、思川左岸にばかり城を築いていると、谷戸の湾曲からお互いの城が見えなくなってしまう。
そこで天狗沢だけ、思川右岸に築かれたという様に読める。
つまり、これら城々の主目的が、この谷戸を切れ間なく監視するためにあった、と判断できるのだ。

図2-この地域周辺の城郭ネットワーク
図2-この地域周辺の城郭ネットワーク 
 
前述のように、この城の歴史は定かではない。
分からない所も、この地域の城の魅力である。
鹿沼の城は本当に素晴らしい。

以上。

図3-城の位置図(国土地理院地図)
図3-城の位置図(国土地理院地図)

※12017年、上沢光綱さんのホームページで公開された
※鹿沼市の城と館(鹿沼市業書7)2002年鹿沼市史編さん委員会
※筆者は城に関するホームページを開設している。
乱暴なホームページではあるが、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
URL:http://saichu.sakura.ne.jp/tochigitop.html(新しいウィンドウが開きます)

<編集部より>
本コラムは、趣味として長年、城の構造(縄張り)を調査している縄張りくんが、鹿沼市の魅力の一つとして、市内の縄張りを紹介してくれています。
あくまで、縄張りくん個人の見解に基づくものですので、ご承知おきください。

 
ライター 縄張りくん

掲載日 令和4年3月30日

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