正しく悟りを開いた人の意味で、悟りを開いた後の姿、すなわち当時の出家の姿をあらわす裳(も)と袈裟(けさ)だけの形が通例ですが、大日如来は宝冠(ほうかん)や装身具を身につけた豪華な形をとります。各如来は手の印相(いんそう)によって区別されます。
自らの悟りを求めるとともに、衆生(しゅじょう)を救うための修行に励む人を意味します。通例は古代インドの王侯・貴族の姿を写した、宝冠・装身具姿の華麗な形をとります。ただ、地蔵菩薩のように頭を丸め、袈裟をまとう僧侶の姿のものもあります。
悪魔を退治し仏法を守護する諸尊として、密教で尊崇されます。その性格をあらわすため、多くは、忿怒(ふんぬ)の相や多面多臂、武器を手にするなど、恐ろしい姿をしています。
薬師如来の従者で、いずれも甲胄(かっちゅう)をつけた武将の姿をしています。後世、十二支と結びついて、頭に十二支の冠をつけた像が多く造られました。
信濃(しなの)善光寺に伝わる阿弥陀三尊像(秘仏)の模像で、浄土教の興隆に伴って平安時代末期から鎌倉時代にかけて多く造られました。そのほとんどは銅造です。三尊がーつの大きな光背を背負う一光三尊形式で、それぞれが高めの反花(かえりばな)付蓮肉の上に直立する形をとります。
仏身から発する光明を意匠化し、仏像の背後に立てる光背の一種で、頭から身体まで像の背面を完全に覆ってしまう型のーつです。舟を思わせる、上端のとがった縦長の楕円形をしています。
仏像が乗る台座の一種で、開いた蓮の花を形どったもの。台座の最も一般的な形式です。
像の頭と身体の主要部をーつの木材から彫り出す木彫の技法。立像では両手、坐像では両手・両足などを別の木材で造っても一木造に含めます。
二つ以上の木材を寄せ合わせて、像の根幹部となる頭と身体を造る木彫の技法。内部をくり抜いて重量を減らしたり、小さな木材で大きな像が造れるなどの利点があります。
像の表面を金色に仕上げるための技法。表面に漆(うるし)を塗って、その上に金箔(きんぱく)を押します。木彫像や乾漆(かんしつ)像に多く見られます。鎌倉時代以後は、金泥(きんでい)も用いられました。
木彫像において、眼を彫り出してあらわしたものを彫眼といいます。これに対し、眼の内部をくり抜き、眼球状の水晶をはめ込んだものを玉眼といいます。
別鋳(べっちゅう)された金銅仏の手などを取り付けるために用いられるほぞのこと。基部が狭く、先端が広がり、断面は台形のつくりです。
全面または大部分に丸のみの痕を残す木彫像をいいます。平安時代中頃から鎌倉時代初期に限って行われました。のみ痕を荒々しく残す円空仏はこれに近いものです。
鎌倉時代の彫刻に影響を与えた、中国の宋代(960~1279)の様式をさします。
鎌倉時代初期の康慶(こうけい)・運慶(うんけい)親子の一門と、その系統をひく仏師の一派で、2人のほか、快慶(かいけい)・定慶(じょうけい)ら多くの名手を輩出しました。名前に慶を付すものが多いため、慶派といいます。写実的な新様式を生み出し、鎌倉時代の主導的役割を果たしました。江戸時代に至るまで造仏界の一大勢力をなしました。