鹿沼市役所にあるモニュメントの正体は?-鹿沼で戦争の記憶を引き継ぐ-
平和を希求するシンボル
鹿沼市役所の駐車場に、ユニークな外見のモニュメントがあることをご存じでしょうか。
安定した台座の上に自然石を戴くデザイン。実は、このモニュメントは、鹿沼市が平和を希求してつくったシンボルなのです。

▲鹿沼市役所の駐車場にあるモニュメント
台座の碑文には、鹿沼市が1995年8月15日に制定した「平和都市宣言」が刻まれています。
豊かな水と緑に恵まれた鹿沼市は、先人が築いた誇れる歴史と伝統のあるまちです。私たちは、この自然や歴史や伝統を後世の人々に伝えなければなりません。
私たちは、豊かな自然や伝統は、世界の平和なくして守れないことを、尊い犠牲を払って学びました。
しかし、今なお世界の各地で、戦争によってかけがえのない多くの命が失われています。
戦後50年に当たる今年、私たち鹿沼市民は、非核三原則を堅持し、日本国憲法の精神である世界の恒久平和を達成するため努力することを決意し、ここに「平和都市」を宣言します。
戦時下の鹿沼で何があったのかを伝えていく
鹿沼でも第二次世界大戦中の1945年7月12日、米軍機による空襲がありました。1500個の焼夷弾が投下され、焼失家屋256戸、被災人口2490人、死者9人、重傷者4人、軽傷者14人の被害・犠牲が出たのです(1)。

▲鹿沼空襲で投下された焼夷弾
この鹿沼空襲の証言をもとに市民団体「戦争体験を語り継ぐ会」が、紙芝居『ぼくが見た鹿沼の空襲』をつくり、図書館や学校、集会で読み聞かせを実施。空襲から80年経って、「やっと話せた」と初めて体験を語った人もいます。
鹿沼市役所で開かれた「戦時の鹿沼と『青い目の人形』」展(2025年8月12日から25日開催)もメディアで報じられ、実際に投下された焼夷弾や戦争中の鹿沼の写真、文書に注目が集まりました。
私がこの展示で大切だと思ったのは、見学者が自由に写真を撮り、SNSなどに投稿することが認められていたことです。一人ひとりが知ったことや考えたことを発信することで、戦争の記憶を伝えていく一つの試みだと思いました。

▲「戦時の鹿沼と『青い目の人形』」展を見学する市民
平和のとりくみ持続に希望
また、鹿沼市は、1997年から市内の中学生たちを広島の平和記念式典に派遣する事業を行っています。2025年度も8月5日から7日まで20人の中学生が広島を訪れました。
「今も世界各地で紛争が起こっています。それでも核兵器が使用されていないのは、被爆者の努力の結果であると感じます。これからは広島で学んだ僕たちが伝える番だと思います」(『広報かぬま』2025年10月号4頁)。中学生の感想からは、戦争体験・被爆体験を知らせていきたいという思いが伝わってきます。
残念なことですが、2026年になってもアメリカによるベネズエラ攻撃やアメリカとイスラエルによるイラン攻撃など世界で戦争が繰り返されています。一方で、平和を求めて戦争の記憶を引き継ごうとする人々のとりくみが持続していることに希望を持ちます。
鹿沼市役所を訪れた際は、ぜひモニュメントに立ち寄り、「平和都市宣言」を読んでみてください。
(1)鹿沼市史編さん委員会編『かぬまの歴史』鹿沼市、2007年、208-209頁
※記事中の写真はすべて筆者撮影
ライター福田 耕







