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トップ > 文化財 > 有形文化財 > 考古歴史資料・書籍> 人参中製法所掛役人の墓(伝人参奉行の墓)

人参中製法所掛役人の墓(伝人参奉行の墓)

鉄眼版大般若経

名称 

人参中製法所掛役人(にんじんちゅうせいほうじょかかりやくにん)の墓(伝人参奉行(にんじんぶぎょう)の墓)

基本情報

向かって左から

  1. 文政4年(1821)8月、横内金之助義比
  2. 文政4年(1821)9月、高村和田兵衛由之
  3. 天保5年(1834)8月、朝比奈三八義明

指定

鹿沼市指定有形文化財(歴史資料)
指定年月日:令和8年4月23日

 

所在地・アクセス

鹿沼市板荷2961

観音寺

東武日光線板荷駅から徒歩50分

東武日光線新鹿沼駅からタクシーで20分

 

 

 

所有者

宗教法人観音寺

成り立ち・見所

 江戸幕府が板荷村に設置した朝鮮種人参(ちょうせんたねにんじん)(高麗人参/オタネニンジン)の集荷・半加工(洗浄・湯通し・陰干し)・輸送を行う人参中製法所(にんじんちゅうせいほうじょ)の役人の墓です。地元では「人参奉行(にんじんぶぎょう)の墓」と呼ばれています。
朝鮮種人参は薬種として古くから珍重されましたが、日本には自生せず高価でした。そのため、8代将軍徳川吉宗の治世に国産化が図られ、日光東照宮などの領地日光神領と、その周辺が人参の産地となりました。寛政12年(1800)、生産・流通を管理するために、幕領であった板荷村に製法所が置かれ(現鹿沼市立板荷小学校地内)、毎年4月の発芽状況を確認する芽出見分(めだしけんぶん)、7月の収穫に立ち会う掘取見分(ほりとりけんぶん)の2度、江戸から役人が派遣されました。
ここに葬られた3名は、江戸城吹上御苑(ふきあげぎょえん)を管理する吹上奉行配下の下級役人です。掘取見分のための出張中に亡くなり、観音寺に埋葬されたものと考えられています。
この墓は、江戸時代の鹿沼が幕府の主導した朝鮮種人参の生産地であったこと、そして板荷がその生産・加工・流通の拠点であったことを今に伝える貴重な文化財です。
 

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掲載日 令和7年5月26日 更新日 令和8年10月14日

このページについてのお問い合わせ先

お問い合わせ先:
教育委員会事務局 文化課 文化財係
住所:
〒322-0069 栃木県鹿沼市坂田山2-170(市民文化センター 3階)
電話:
0289-62-1172
FAX:
0289-65-6742
Mail:
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