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粟野城址

粟野城址粟野城址碑文

名称 

粟野城址
(あわのじょうあと) 

基本情報

安土桃山時代 

指定

市指定(昭和57年10月10日) 

所在地・アクセス

鹿沼市口粟野1631-2

粟野城址
JR鹿沼駅より新鹿沼駅前経由リーバス口栗野線「粟野支所入口」下車(約30分)。徒歩5分。 

所有者

粟野財産区 

成り立ち・見所

粟野城址は、口粟野の通称「城山」と呼ばれるところにあり、頂上の横尾勝右エ門撰文の碑によると、足利又太郎忠綱がここに こもり、涛速(なにわ)城と称したとあります。また別の記録では、忠綱の一族郎党がここで全滅したと いうことです。
暦応(りゃくおう)元年(1338)、平野将監範久が修築 、居城したものの小山氏・宇都宮氏連合軍の侵略に悩まされ、その後に佐野氏に降伏し、佐野の支城となりました。

城代平野大膳久国の時には、皆川氏に攻略され、天正(てんしょう)16年(1588)12月、再び皆川広照の攻撃を受け、佐野方の援軍 を加えた防戦もむなしく落城しました。
このときの戦は、大変はげしく皆川方の大将斎藤秀隆や粟野城代平野久国のほか多くの武将が討死にしております。まして雑兵(ぞうひょう)の死者は数知れないといわれます。

皆川氏は、落合徳雲入道を粟野城代としましたが、天正18年(1590)、羽柴秀吉派遣の上杉・浅野軍の攻撃を受け、皆川本城と共に落城しました。

山頂に物見跡があり、その東南の一段下がった平地が本丸跡といわれます。城内には無数の土塁や堀切があり、大手口は横町方面に向い、二の門の内側に用水池があります。 


掲載日 平成22年8月27日 更新日 平成28年11月16日
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