板荷コミュニティセンターの概要
板荷コミュニティセンターの歴史
江戸時代、三千石の天領であった板荷は、明治維新により新政府の管轄となりました。明治18年、小来川と連合して堀の内に戸長役場を置き、明治22年に両村が合併して板来村と称しました。しかし、地勢等の関係から明治26年5月に分村し、元の板荷村となりました。
役場はその後、鍛冶谷に移転しましたが、村の大半を焼失した大正8年1月の大火で類焼し、仮庁舎を日枝神社に置きました。大正11年に再び鍛冶谷に新築された板荷村役場は、昭和59年までの60余年利用されました。
その間、昭和4年には東武鉄道日光線の板荷駅が開設、昭和16年には板荷郵便局が現在地に開局し、交通・通信の便が格段に良くなりました。
昭和29年10月1日、板荷村は他6村と同時に鹿沼市と合併し、役場は鹿沼市の「板荷出張所」・「板荷地区公民館」と改称されました。
昭和59年3月、現在地に板荷林業センターが竣工し、建物内に出張所・公民館を移転しました。平成13年4月から呼称を「鹿沼市板荷コミュニティセンター」と改め、現在に至っています。
板荷コミュニティセンターの特徴や目指すべき方針
板荷地区には、町名が『板荷』の1つだけ。行政区・自治会は1区から9区に分かれ、板荷1区、板荷2区…と呼ばれています。地元の方々は、小字(こあざ)で呼び合うことが多いようです。
また、地区内は1校区で、板荷で生まれ育った皆ほとんどが「板荷小学校」「板荷中学校」と9年間をともに過ごした同窓生で、大家族のように結びつきの深い地域です。
郵便集約は、板荷全地区が郵便番号321‐1111で日光市文挟局扱いです。4区見晴台の電話は、(0288)の日光市の市外局番となっています。
主要道は、日光市小来川へ続く県道と、日光市小代から長畑を通る県道。山間部には県外住民の別荘が点在し、3区には東京都足立区所有の「野外レクリエーションセンター(平成24年3月をもって閉鎖となりました)」があり と、他市町村との交流・関わりの深い地域です。
さらに、黒川の源流をはぐくむ山々、行川(なめがわ)・長畑川・黒川の清いせせらぎ、春には青苗・秋には金の稲穂があたり一面を染め上げる、風光明媚な緑と自然の豊かな地域です。地域組織や地域住民の皆様と連携を図りながら、窓口サービスのいっそうの充実をはじめ、より地域密着型の行政が展開される拠点。それが板荷コミュニティセンターの目指す姿です。