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加蘇地区の地理

「加蘇村は明治22年に久我、加園、野尻の村々にて新しい村が出来たものです。村名は古くより加蘇野郷と称し、同地区には加蘇山神社があったので、それ等によって名付けられたものでしょう。三代実録には、天慶3年(879年)9月10日の条に下野加蘇山神社が従5位下に任ぜられたことが誌されており、この神社の歴史は古いことを物語るものです。加蘇の地名は楮(こうぞ)によるもので、楮は古くはかぞうと呼ばれ、現在でも呼んでいる所もあります。荒井川をはじめとし、南摩川、粟野川、粕尾川の流域には古くから楮が自生し、さらには栽培もされて和紙の製造が行われ、粕尾紙の名でこの地方の産物でした。石裂山の加蘇山神社より東方の平地を加蘇野といい、南方の尾根続きにある地域を加蘇尾と称しましたので、加蘇村、粕尾村の名称となったものです。
埼玉県にある加須(かぞ)芳賀郡大字高橋字加増(かぞう)などの地名の由来も加蘇と同様と考えられます。(「鹿沼の地名」より)


野尻地区の地図の写真 加蘇地区の南東の端に野尻があります。 野尻は荒井川と大芦川の合流点までをいいます。野尻という地名は、地形から名付けられたものでしょう。
野尻と隣接して加園があります。
加園は古くは加蘇野のことですが、好字2字の加園に改めたものです。(「鹿沼の地名」より)




久我地区の地図の写真加園の西に下久我があり、さらに西に上久我が接しています。
久我は空閑、古河、古賀などど同意で、空閑地のことです。空閑地とは、農耕が可能ですが未開墾地で、農耕の行われていない所のことです。
現在の久我と加園とは古くは加蘇野郷と称していましたが、分郷の際に上郷を久我、下郷を加園と分けたと伝えられています。(「鹿沼の地名」より)


石裂地区の地図の写真加蘇地区の西端、加蘇山神社のあるところが石裂です。
加蘇山神社の祭神は磐裂、根裂も両神で磐裂を石裂と書き、おざくとよばれるようになったものでしょう。(「鹿沼の地名」より)

掲載日 平成22年10月21日 更新日 平成30年1月30日
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