市の紹介
位置と地勢
鹿沼市は、面積が490.64平方キロメートルで、首都東京からおよそ100キロメートル、北関東の中央部に位置しています。
市役所の位置 |
栃木県鹿沼市 今宮町1688-1 |
東経 |
139度44分53秒 |
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北緯 |
36度33分49秒 |
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海抜 |
148.8メートル |
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面積 |
490.64平方キロメートル |
東西 |
32.97キロメートル |
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南北 |
28.17キロメートル |
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地域 |
経度 |
極東 |
深津 |
東経 |
139度50分08秒 |
極西 |
上粕尾 |
東経 |
139度28分02秒 |
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緯度 |
極南 |
下永野 |
北緯 |
36度27分29秒 |
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極北 |
草久 |
北緯 |
36度42分43秒 |
※平成27年3月6日に公表された、国土交通省国土地理院の面積計測方法の変更により、本市の面積値が490.62km2から490.64km2に変更となりました。
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栃木県の中では、県央西部にあり、圏域の北部は国際観光地の日光に隣接し、南東部には、東北縦貫自動車道鹿沼インターチェンジがあり、近接して北関東自動車道が走っています。
また、県都宇都宮市に隣接し、東北新幹線との連絡も容易な位置にあります。市内には、東武日光線とJR日光線が通り、いずれも、東京までの所要時間は約80分であり広域交通の要衝として、高い地理的優位性を有しています。
市内の約7割は森林で覆われており、西北部の奥深い山々を源として、大芦川、荒井川、粟野川、思川、永野川が、日光方面からは黒川が南流しています。
西北部の奥深い山々と、その山々を源流とする幾筋もの河川は、山と高原、清流と渓谷という特色ある美しい景観を成し、前日光県立自然公園を形成しています。
市街地は、鹿沼地域では黒川の河岸低地と東部高台に、粟野地域では思川と粟野川が合流する平地に形成されています。
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シンボル
鹿沼市のシンボル 市章ベリーちゃん市の花 さつき
(さっちゃん)
市の木 杉
(杉なみくん)
市の果実いちご(いちご市)
鹿沼市の歴史
本市が、歴史上の記録に登場するのは、勝道上人の日光開山により大剣が峰(横根山)などが山岳信仰の場になってからとなります。
中世においては、日光山領として、この地域の村々が記録に現れました。
また、戦国時代には、壬生氏が本拠地を鹿沼に移しこの地を支配していましたが、豊臣秀吉の関東侵攻の際に、小田原城落城とともに壬生氏は滅亡し、鹿沼城は廃城となりました。
近世に入ると、日光に東照宮が造営されたことにより、鹿沼地域は日光西街道・例幣使街道の宿駅として生まれ変わり、町は商品流通の中心地として賑わいました。この頃、彫刻屋台が数多くつくられ、町人文化の繁栄がみられました。
粟野地域は、足尾銅山の開設に伴い、生産・生活物資輸送の中継地として賑わいました。
近代に入ると、鹿沼地域では木工業が盛んになり、日光線の開通や関東大震災、戦災復興などによる需要の増大により生産を伸ばし、「木工のまち」としての地位を確立しました。
昭和23 年には、鹿沼町が市制を施行し、その後、昭和29 年に1 市7 か村、昭和30年に2 か村が合併し、粟野町も1 町3 か村が合併し、それぞれの行政区域を形成しました。
昭和46 年4 月には、両市町による鹿沼地区市町広域行政推進協議会を、次いで昭和47年4 月には鹿沼地区広域行政事務組合を設立し、様々な交流と連携を図ってきました。
そして、平成18 年1 月1 日に両市町が合併し、新しい鹿沼市が誕生しました。美しい自然環境と特色のある地域文化や産業など更に魅力を加え新たな歴史を刻みはじめました。